壽の日記

というね

いながらにしていない

誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はするだろうか?

 

それは誰にもわからない。

 

常識的な感覚で言えば音はしたと言えるがその保証はどこにもない。

 

実際音はしているだろう。

 

今もどこかの森で響いているはずだ。

 

響いていながらにして響いていない音が。

 

今僕はこうしてネット上で文章を書いているが、まだ誰にも読まれていない。

 

つまりネット上に存在していないということだ。

 

このブログは誰もいない森の中で木が倒れたときの音と同じなのだ。

 

ネット上にいながらにしていない存在。

 

それは、一人でエレベーターに乗っているときにする変顔や試着室で全裸になる行為と同じ趣がある。

 

(やって)いながらにしていない。

 

世界はきっとそんな存在で溢れている。